2012年6月30日土曜日

豊かさの実感とGNPとの根本的な矛盾を生み出す原因



 これまでのGNPの問題点はいくら稼いだかの尺度であり、本来、満足度、幸福度を決めるのはそれが何に使われたのか(効用面)が実は抽象化されていた。

この点は経済学者は誰も指摘しないのだが、(ミクロとマクロの分業がすすんでいるからかもしれないが)、実はマクロ経済学とミクロ経済学の根本的な矛盾を生み出していると思う。

マクロ経済では三面等価のマクロモデルが示される(経済活動の規模は、生産、支出、分配が一致する)一方で、ミクロレベルでは個人の無差別曲線、効用、限界効用の逓減が示される。マクロモデルは効用、限界効用は出てこないのだ。マクロレベルでGNPをどんどん増やしたからといっても、ミクロレベルの個人の効用を高めることは保証されていない!

 実際は、お金をかせぐだけでは幸福度を生み出すことはできない。貨幣はいわば記号だからだ。独りで貨幣をかせぐことでニヤニヤすることはできるかもしれないが、、それもその貨幣を将来使うことを妄想するといういわば現在の消費と捉えることもできるだろう。

前回示した原則
  • 稼いだお金そのものが満足度、幸福度を高めることはない。その稼いだお金が何に使われるかが重要である。
  • 使われるお金には、その人の満足度を高めるものもあるが、(不可避的な)支出で満足度を高めないものもある。
  • 他人への信頼、地域、家族ソーシャルキャピタルの大きさによって、市場取引で購入するものを代替、補完することができる。
  •  豊かさを比較する上ではエコノミストがおこなうように物価だけの調整ではなく、他人への信頼がないことによって必要となる支出を調整することで、本当の豊かさを比較しやすくなる。

例えば、地域のソーシャルキャピタル度をX軸に、地域のGDPをY軸にして、それぞれの本当の地域の豊かさを比較してみるといいだろう。

経済成長がないと、僕たちは豊かになれないのか?



 最近出版された、「藻谷浩介さん、経済成長がなければ僕たちは幸せになれないのでしょうか?」を購入した。

 エコノミストの藻谷さんとコミュニティデザイナーの山崎亮さんとの対談。中身は、ほとんどが藻谷さんの話になっており、読んでみたが大きく期待を裏切った。山崎亮のコミュニティ論をもっと読みたかったのに、、、しかも、藻谷さんのその回答も冗長な上でピンとはずれである。

もう少し単純化した形で、この問題に対する回答を私が考えてみたいと思う。

思考実験してみよう。

都市型
Aさんは都市に住んでいた。他人が信頼できなかった。子供は1人いたが、自分の老後を養ってくれたり世話してくれるということに自信がなかった。そのため、高級な老人ホームの資金にするために、そこで、せっせと預金をためた。また、他人が自分のお金を奪うのではないか疑心暗鬼になり、最新型のホームセキュリティーズを設置した。
月収は30万あるが、老人ホームの積み立てに20万円、ホームセキュリティーズに5万、実質は、30万円−20万円−5万円=5万円が自由になるお金だった。

でも、このお金って、他人への信頼がある社会、地域、家族のソーシャルキャピタルが高い社会では本当は節約できるもんじゃないの?

海士町に住むBさん
Bさんは海士町に住むでいた。海の幸を自由にとることができた。稼ぎは10万円しかなかったが、地域全体が一つの家族のようなもので、困ったり体が不自由になると誰かが世話してくれた。そのための預金の積み立ては必要なかった。泥棒もいなかったので、ホームセキュリティーズは必要なかった。
実質、10万円—0円—0円=10 万円

所得はAさんはBさんの3倍だが、本当にBさんよりも3倍豊かだと言えるのか?

ポイントを挙げよう
  • 稼いだお金そのものがその人の満足度、幸福度を高めることはない。その稼いだお金が何に使われるかが重要である。
  • 使われるお金には、その人の満足度、幸福度を高めるものもあるが、高めないものもある。
  • 他人への信頼、ソーシャルキャピタルの大きさによって、市場取引で購入するものを節約、代替することができる。
  • 本当の豊かさを比較するうえでは 、エコノミストが指摘するように物価だけでなく、他人への信頼がないことによって不可避的に必要とされる(幸福度、満足度を高めない)支出を調整することで、豊かさを比較しやすくなる。



2012年6月26日火曜日

ソーシャルビジネスの中間支援組織の存在意義はどこにあるか?



 この問題は、ノーベル経済学賞を受賞したロナルド・コースの取引費用の経済学を応用することができます。

中間支援組織が介在することで、行政なり、社会なりのコストをいかに下げることができるか、という問題に定式化されます。

現在、中間支援組織は行政の仕事以外の財源を持っている団体がまず少ないです(例外 ETIC等のインターンマッチング等)

 ですから、中間支援組織は行政の仕事にリソースと関心を集中させる行動をとっています。その予算は基本単年度なので、なかなか中期的な展望をもって、リソースを育てることができません。しばしば指摘される、中間支援組織の専門性の低さは、自主財源を持っていない点が大きく影響していると思います。


現状の本当の問題点は、「行政が社会のニーズを本当に捉えることができているか」という点です。ここに失敗すると、社会のニーズがないものに、お金を投入するという二重の過ち、社会的なコストを犯すことになります。

また、中間支援団体があることで、行政のNPOのモニタリングコストは低下しますが、中間支援組織自体のモニタリングは誰がするかが問題にあります。一義的には行政ですが、仕分けプロセスの議論をみる限りで、行政側が十分に中間支援団体をモニタリングする体制、指標などを持っていないことが明らかになりました。

そういうわけで、ソーシャルビジネスの中間支援組織をモニタリングする組織、もしくはモニタリング指標が必要と考えていて、この新しい必要な分野に、(株)ソーシャルインパクト・リサーチとして、名乗りをあげているところです(笑)

読者からの感想に答える



2012年夏号に、「資本主義3.0時代の成長力は企業ソーシャルキャピタルで決まる」という論文を寄稿した。

それほど良かったという感想ではないですが(笑)、
1つ紹介し、ちょっと咀嚼してみたいと思います。

読者の感想
企業と社会の関係について、現代の社会情勢に合わせた視点を提供した点はよいが、「利益を上げ続ける」という企業活動の基本をぼやけさせた展開に疑問を抱いた。(20代、会社員、男性、東京都)

この文章を要約してみると、
企業が社会の要請にいろいろと応える必要性がある状況はわかるけど、でも、企業って利益を上げてなんぼでしょ? 企業ソーシャルキャピタルなんて、漠然とした、甘っちょろいこといってっていいの?、みたいな意見ではないかと思います。

今回の論文では論証の部分が紙面の都合上割愛せざるを得なかったのは残念でした。実は、企業ソーシャルキャピタルを定量化し、その部分は実証研究をしています。

企業ソーシャルキャピタルの企業の利益率の関係、売上高利益率の関係をみると、利益をあげるために企業ソーシャルキャピタルが非常に重要な原因になっているいんですよ、というのが私の主張なんです。

日本の優れた産業、企業、例えば、日本が誇る家電産業、パナソニックやソニー、シャープが何故、アジアで全然ダメなのか? この異文化で日本企業がダメな原因とも、企業ソーシャルキャピタルは密接に関係していると考えています。

経営者アンケート調査すると、CSRは企業のブランドにはプラスだけど、財務的にはプラスの影響を与えない、という結果が多いです。この部分とも関係する話かな、と思います。

利己と利他の相克。本当に、利他的な行動が利己にかえっていくるのか?
正、反、合のヘーゲルの弁証論な飛躍が本当に可能なのか? 
ある意味の人間の哲学とも関係するのかもしれません。