2012年6月20日水曜日

評価経済とは何か? 何が変わったのか?




評価経済とは何か? 評価経済になると何が変わるのか?
個人のライフスタイルや働き方などにどういう影響があるのか?

評価経済とは?
 ソーシャルネット等が普及した結果、個人の評価、価値が衆人にさらされることになった。人によっては、その評価を利用して、お金を生み出す力として機能することもある。

Twitterで考えとわかりやすいだろう。ある人は面白いつぶやきをこまめにした結果、Twitterのフォロワーが何万人になり、Kloutスコアーも高くなった。その結果、雑誌のコメントを求められたり、イベントのコメンテーターによばれるようになった。本も出版した、みたいな。

Twitterのフォロワー数、Kloutスコアー=自身の評価、価値の代理変数

 評価経済を考える際に、私は、アルビントフラーの著作「パワーシフト」を思い出す。大学生の時にむさぼるように読んだ。この本は貨幣、お金がパワーの源泉から、情報がパワーの源泉になるということを論じた本であった。この中で、プロシューマーという概念を出し、消費者が生産者的な役割を果たすようになるという予言があったが、これはまさしく現在、ネット社会で実現して大きな時代のうねりとなっている。

 トフラーは、情報、知識経済へ移行を論じたものであった。現在論じられている、評価経済は、情報、知識そのものの力とは異なり、つながりの力の方である。情報、知識を水に喩えると、評価経済はその水路にあたるこの当りの境界は曖昧だ。フォロワーの多い人のコメントが有益な情報、知識を生み出しているのか否か?は評価は分かれるだろう。 

今回の評価経済は何が新しいのか?
 Twitterのフォロワー数、Kloutスコアのように、その評価が可視化された点である。また、意図せずしてソーシャルネットに参加した結果(評価されたいと思っていないにも関わらず)、自分の評価がインデックス化される点である。
可視化の結果、ソーシャルレバレッジが働くようになったこと、そのことが新しい側面だ。数万人のフォロワーがあるから面白いに違いない、ではフォローしてみよう、という流れを生み出す。

 この構造は、実は、ネットに複雑な共振メカニズムを生み出すもとになっている。
例えば、ある人のフォロワーは、コア層であるファン、関心層、無関心層とセグメントできる。ある発言は、コア層であるファンでは概ね好意的に受けれられるが、次の関心層、無関心層では、逆に反感を買って、炎上するケースも見られるのだ。


評価経済のマネタイズ
 評価経済時代に、うまくマネタイズできるかどうか?は、人にも、やり方にもよるだろう。評価をマネタイズに比較的向いているのは、タレント、著述家、専門家、起業家などである。著作家では、佐々木さん、上杉さん、津田さん。起業家ではホリエモン、家入さんなどが挙げられるだろう。

 評価は必ずしも影響力ではない点は注意が必要だ。好感度が高いタレントが数万人のフォロワーを持とうが門外漢の問題に関して論じても、影響を与えることは期待できない。場合によっては炎上するケースも見られる。

フォロワー数=評価指標→必ずしも影響力ではない

この点を多くの人は誤解し、評価経済を過大評価する過ちを犯しているのだ。

 評価が一人歩きするケースもある。例えば、studygiftの坂口さん、一時期、グーグル+でフォロワー数で日本一を誇った。しかしながら、今回のstudygiftでは手痛い失敗を犯し、事実上、ソーシャルネットの世界から抹殺されてしまった。

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