最近出版された、「藻谷浩介さん、経済成長がなければ僕たちは幸せになれないのでしょうか?」を購入した。
エコノミストの藻谷さんとコミュニティデザイナーの山崎亮さんとの対談。中身は、ほとんどが藻谷さんの話になっており、読んでみたが大きく期待を裏切った。山崎亮のコミュニティ論をもっと読みたかったのに、、、しかも、藻谷さんのその回答も冗長な上でピンとはずれである。
もう少し単純化した形で、この問題に対する回答を私が考えてみたいと思う。
思考実験してみよう。
都市型
Aさんは都市に住んでいた。他人が信頼できなかった。子供は1人いたが、自分の老後を養ってくれたり世話してくれるということに自信がなかった。そのため、高級な老人ホームの資金にするために、そこで、せっせと預金をためた。また、他人が自分のお金を奪うのではないか疑心暗鬼になり、最新型のホームセキュリティーズを設置した。
月収は30万あるが、老人ホームの積み立てに20万円、ホームセキュリティーズに5万、実質は、30万円−20万円−5万円=5万円が自由になるお金だった。
でも、このお金って、他人への信頼がある社会、地域、家族のソーシャルキャピタルが高い社会では本当は節約できるもんじゃないの?
海士町に住むBさん
Bさんは海士町に住むでいた。海の幸を自由にとることができた。稼ぎは10万円しかなかったが、地域全体が一つの家族のようなもので、困ったり体が不自由になると誰かが世話してくれた。そのための預金の積み立ては必要なかった。泥棒もいなかったので、ホームセキュリティーズは必要なかった。
実質、10万円—0円—0円=10 万円
所得はAさんはBさんの3倍だが、本当にBさんよりも3倍豊かだと言えるのか?
ポイントを挙げよう
- 稼いだお金そのものがその人の満足度、幸福度を高めることはない。その稼いだお金が何に使われるかが重要である。
- 使われるお金には、その人の満足度、幸福度を高めるものもあるが、高めないものもある。
- 他人への信頼、ソーシャルキャピタルの大きさによって、市場取引で購入するものを節約、代替することができる。
- 本当の豊かさを比較するうえでは 、エコノミストが指摘するように物価だけでなく、他人への信頼がないことによって不可避的に必要とされる(幸福度、満足度を高めない)支出を調整することで、豊かさを比較しやすくなる。
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