2011年4月1日金曜日

情報のパーソナライゼーションのゆくえ?

グーグルの新しいサービス「Google+1」をみると、大きなパラダイムシフトが進んでいることに気付かされる。

検索結果が誰にとっても同じということは、情報の価値は誰からみても同じということを意味する。考えてみれば、これは全くのナンセンスな話。しかし、そのナンセンスがずっと続いてきて、それを提供してきたグーグルは莫大な収益をあげてきたことにまた驚かされる。

今後の方法性は
情報のパーソナライゼーション(自分にとって意味ある情報をいかに入手するか)

この情報のパーソナライゼーションがさらに進むと、

欲しい情報を自分で探すという形から、欲しい情報が自分にどんどん集まってくる方向に進んでいくだろう。ソーシャルグラフとともに、ウェブグラフ(好きなウェブサイトと人とのグラフ)を通じて。

ただ、ソーシャルグラフがなく、単に+1するだけでは、自分にとって有益な情報を他人(みんな)にとって有益な情報に転換する仕組みは弱い気もする。

ここで、企業がどういう方向に進むのだろうか?

「情報のパーソナライゼーションが進む中で、企業はどのようにユーザーとの関係を作り、マネタイズしていくべきか?」

一度じっくり考えた見たいテーマです。

ウェブサイトの位置づけも、全く考え直す必要があるかもしれません。 SEO対策し検索結果で上位表示させる意味って一体何なのか?

とにかく、Google+1には要注目。大失敗の可能性すらありますから。
みなさんは、どう思われますか?

2011年3月30日水曜日

ソーシャルメディア未来予想図




米国のトップ10のウェブサイトのページビューで上位10社の占める割合は、2001年は31%、2006年は40%、2010年は75%まであがっている。
その中でも、米国ではFacebookシェアがどんどんあがっている。この先、米国はFacebook=インターネットになるのか? 日本もそうなるのか?

振り返ると、
99年からのインターネットは、情報の効率化、コミュニケーションのハブとなるポータルサイト、ヤフーが王者となった

2010年からのソーシャルメディア革命では、ソーシャルグラフを押さえるFacebookが王者

ソーシャルグラフという金脈を押されるFacebook。ただ、これは供給側からの話で、問題は、Facebookにつながる人々は一体何を求めてつながるのか? この部分が根本の根本だ。

それは、そこで生み出されるのはコミュニティとのつながりだ。
そして
Facebook=コミュニティハブ

コミュニケーションハブからコミュニティハブへの転換
そのハブとなっているのがFacebookの最大の強みだ。

人々は企業にもコミュニティ側面を求めている。
愛着、あこがれ、つながっていたい気持、カルチャー。

これはリアルな場でも人々が求めていたものをオンラインでも求めているということではないか!

そして、透明性の時代には、
企業の内と外の垣根は取り払われる。

企業文化(カルチャー)=ブランド

内と外を一致させられる会社だけが、ウソ偽りのないコミュニティを提供できるのだ。

2011年3月29日火曜日

今後のクラウドファンディングサービス3社(Grow!、CAMPFIRE、ReadyFor?)の予想




LooopsTVでクラウドファンディングサービスの3社(Grow!、CAMPFIRE、ReadyFor?)をゲストにした放送があった。

まさにこれからスタートというタイミング。うまくいくかは今後のお楽しみ。3社のサービスはお金の出し手は純粋な寄付ではないというポジショニングをしている。3社とも、Kickstarterの成功に影響を受けたようだ。

直感的に感じたことは、
この東北関東大震災後のタイミングでは、被災者向けの純粋な寄付が一番お金集まるんじゃないかという点だ。JustGivingの寄付総額が5億円を越えてきた。様々な人達が震災援助のチャレンジをおこない、それに対してこれまでお金を出さなかった層も寄付している。これは明らかな変化だ。

この流れはしばらく続くとすると、この大震災後のタイミングがこの3社にとってプラスなのかマイナスなのか?

短期的にはマイナス。人々の関心は大震災の被災者の方の支援。クリエーターの方々の支援にまでは気が回らない。海外にも向かず国内一色だろう。

中期ではプラス面もある。これまで自分が気に入ったプロジェクトにお金を出すという行動スタイル、習慣がなかったことが今回の大震災後はだいぶ変わる契機になる可能性がある。

これらのサービスはお金を出したことを他人にも見えるという点が一番のポイントだ。Facebookページのファンになる理由はまさにこれ。「こういうcoolなプロジェクトを応援する自分ってcoolでしょ。みてみて。」みたいな。

必要条件は、口コミしたいぐらいのcoolなプロジェクトを集めることだろう。

十分条件は・・・・。まだ予想が難しいだろう。

2011年3月28日月曜日

1999年ネットバブル VS 2011年ソーシャルメディアバブル? 4つのポイント



主要企業の 時価総額で、1999年はトップ24社で710億ドルだったのに対して、2011年は トップ5社で713億ドルとなっている。1999年は 上場企業の時価総額だが2011年の5社は未上場時点の時価総額である。5社はFacebook、Twitter、Zynga、Groupon、LinkedInである。

この状況 で、現在をソーシャルメディアバブルとみるべきかどうか?

そもそも、 バブルはなぜ起きるか?

期待がどん どん膨らみ、ファンダメンタルを遥かに越えて発散するからだ。
その期待は 根拠がないため最終的にはバブルははじけるが、様々な企業のバリューのかさあげに貢献する。

現在のソーシャルメディア銘柄は、
5社という限られた数の企業のバリューである。

私の結論は
この5社の バリューのかさあげは、「ソーシャルグラフ・プレミアム」とみることができるだろう。

この5社は 様々な形で、ソーシャルグラフを制する戦いに参戦している。
このソー シャルグラフという金脈を制した企業のバリュー(将来収益)は計り知れない。この価値に対して、ベンチャーキャピタルはプレミアムをのせているのだ。

今後をみる上では、
1.ソーシャルグラフを誰が本当に制する可能性 が高いのか?
2.5社の間でその勝率にどのような変化が生じ ているのか?また、新しいプレーヤーがこのソーシャルグラフの戦いの参戦してこないか?
3.法律、自主ルール等でソーシャルグラフ活用 に関して制約(リスク)が生じる可能性はないのか?
4.ソーシャルグラフ自体は業界の共有財産のよ うな存在になり、誰でもオープンにアクセスできる可能性はないのか?

以上を考えて、バリューの変化を見極める必要があるだろう。

2011年3月27日日曜日

電通の生活者消費行動モデルSIPS VS ブランド「ソーシャライズ」モデル



電通がソーシャルメディアに対応した消費者行動モデルがSIPS
S(Sympathize共感する)
I(Identify確認する)
P(Participate参加する)
S(Share&Spread共有・拡散する)

SIPSの特徴
・共感をモデルの最初の入り口、ベースにしている
・これまでの検索プロセスがなくなった!
・生活者と企業との関わりを購買だけでなくPerticipate(参加)としている点が興味深い

実際の消費者行動モデルとするにはいくつか問題点もある
・最初に共感を入り口にしているが、ほとんどの企業が生活者と共感でつながること自体が大きなハードルなので、このハードルをクリアーできる会社が例えば3%くらいとすると97%はモデルの次に進めない
・全プロセスが理想的な状態で生じることを想定しており、モデルの途中でとどまる、頓挫する比率が高くなる
・「生活者とうまい関係を築き共感を得られたら、みんなが広げてくれますよ」という理想的なモデルを描いたという位置づけ→大半の企業が参考にするモデルとはなっていない。この点では、AIDAMA、AISASのカバー率、モデルの汎用性の方が圧倒的に高い。この点では、SIPSを消費者行動モデルというには汎用性が低すぎる

・例えば、Amazonで書籍を購入するという消費者購買行動をこのSIPSモデルで説明することは難しいだろう。

対して、ソーシャライズモデルの企業へのインプリケーション
ご参考 ソーシャルメディア時代の購買決定モデル:企業はマニフェストを掲げてブランドを自らソーシャライズせよ!

どちらのモデルが実際のマーケティングに使う際に有効性が高いだろうか? モデルの有効性は現実をうまく説明している or そのモデルを使うことで便益が得られるという観点から評価すべきだろう。

ソーシャルメディア時代の購買決定モデル:企業はマニフェストを掲げてブランドを自らソーシャライズせよ!



情報(ブランド)が購買決定されるプロセスは、その情報(ブランド)の評価にある一定の合意(コンセンサス)が形成されるプロセス、ある意味で「社会的な合意形成プロセス」として位置づけられることができます。これを、私は「ブランドのソーシャライズ」と定義しています。

ソーシャライズモデルの特徴
・ブランドの情報的側面に注目する
・購買活動は個人でおこなわれるものから、ソーシャルメディア時代には「社会的な合意形成プロセス」に変わりつつある
・したがって、マス広告だけでは企業のブランド戦略は完結しないし、一方向型(ブロードキャスト型)の広告の有効性の低下が起こる

企業へのインプリケーション
・企業はブランドの約束、マニフェストをまず掲げよ!
・一定の参加者によって合意形成プロセス(ソーシャライズ)されないと、そのブランドは信用されないし、ブランドの価値を伝えることもできない
・ブランドのソーシャライズから逃げるな! それは不可欠のプロセスであり、企業側が逃げても、誰か他の人がやるだけ。
・ソーシャライズによる評価は必ずしも真実と違うケースもあるし、企業側が納得いかないケースも多い。しかし、その評価に消費者は大きく影響を受けることを認識せよ
・評価は日々リアルタイムでなされる
・企業側ができるのはコンテンツからコンテクストつくりに移っている。場つくり(共感、共創、共有)と評価の可視化でブランドのソーシャライズを支援せよ

今度、SIPSなどのソーシャルメディア時代の購買モデルと比較しつつ、有用性について考察してみたいと思います。

ソーシャルメディア時代の購買決定モデル?:ブランドがソーシャライズされる必要




前々回のブログで、情報がソーシャライズされるプロセスは、その情報の評価にある一定のコンセンサスが形成されるプロセス、ある意味で「社会的な合意形成プロセス」として位置づけられることができると述べました。

合意形成→みんなでその情報、ブランドがいいかどうかを投票→合意形成(コンセンサス形成)→ほとんどの人はみんなの評価にしたがう→自分もその高評価のそのブランドを欲しくなる→(物理的制約)→実際に購入

このプロセスは、①情報がまだ正しいかどうかわからない状態→②一定の参加者によって議論(インタラクション)が行われる→③その議論の中で方向性、評価軸などが形成される→④収束(情報の価値が評価されたと考える)となります。

このプロセスで、情報の非対称性が低下、意見の幅(分散、標準偏差)の低下がおこります。

実は、このプロセスは、ほんんど、特にデジタル財の場合には、「消費者の購買決定モデル」と同じ位置づけになります。ですから、ここから、企業は様々なインプリケーションを導くことができます。

ソーシャルメディア時代の「外部性を内部化する戦略」とは?




ハーバードビジネスレビュー4月号に「21世紀の経営にもとめられること 外部化を内部化する時代」という論文が載っている。正直、なぜ〈ソーシャルメディア特集〉にこの論文が入るのか位置づけがよくわからなかった。英語の論文は、Leadership in the Age of Transparency.訳者が題名もかなり意訳している。

どう概念を結びつけるか?が悩ましい。外部性、内部化、ソーシャルメディア、透明性の時代、リーダーシップ。

まず外部性という概念。経済学でよく使われるのが環境汚染など負の外部性の話。外部性が生じると市場メカニズムでは最適性を確保できない(市場の失敗)ので、法律、規制などで対処する。ただし、規制も、規制の失敗が生じるが・・・

透明性の時代になり、外部(負の外部性が生じる)でおこなったことを組織はそのままにしておくことができなくなる。責任ある組織はその外部性を内部化(組織内の倫理、対応)によって対処しようとする。ドラッカーも〈意図したかしないかにかかわらず、我々はみずからが及ぼす影響に対して責任がある〉と喝破している。今の日本にまさにタイムリーな話ですね。

では、負の外部性ではなく、正の外部性が生じたらどうなるか?を思考実験してみる。

負の外部性が生じる場合→市場メカニズムでは過剰生産→規制、法律で対処
正の外部性が生じる場合→市場メカニズムでは過小生産→・・・

発想を転換してソーシャルメディアのプロジェクトがうまくいくとはどういうことか想像してみよう。

製品の口コミがたくさんされて、組織がお金をかけなくても認知が高まり、たくさんの集客できて、売上がどんどん増える・・・

これはまさに、需要面において正の外部性が生じていると考えることができるだろう。

ユーチューブ動画〈混ざるかな〉でiPhoneなど様々なものを自社製ミキサーで粉々にする動画で有名になったブレンドテック社は3年間で7倍の売上になった。これも、正の外部性が生じたケースと言えよう。

つまり、うまくいくソーシャルメディアのプロジェクトは、
①正の外部性が生じる+②その外部性を内部(組織)に取り入れることができる、①+②と定義できるだろう。

顧客という外部(市場)を組織という内部にどう取り入れるか、これが外部性を内部化するということである。

正の外部性を生じるさせる方法は、
共感(コンテンツ共有)
共創(場の共有)
共有(アーキテクチャー共有)などの方法が考えられる。

上記の関係をみても、負の外部性と正の外部性は全く正反対。負の外部性を生じさせ、それを内部化しない原発、東京電力という組織と、正の外部性を生じさせそれを内部化するソーシャルメディアとは正に相反する関係にある。この2つの相性が最悪なのは決して偶然ではない