2011年9月30日金曜日

摩擦なきシェアリングのコストは?

 今回の勉強会では、ソーシャルネットのプライバシー問題について議論した。フェイスブックの仕様変更もあり、ソーシャルネットのプライバシー問題はホットなテーマである。

 ソーシャルネットワークによって、一般人でもその私生活がどんどんオープンになってきている。あたかも、セレブでもないのに、セレブのように振る舞わなくてはいけないような強迫観念にとらわれる。

 フェイスブックはシェアにともなう摩擦をどんどん減らし、コミュニケーションの活発化、効率化を善として邁進する十字軍のようなものだ。

 しかし、我々はそのスピードや新たな振る舞いについていけずに、戸惑ったり、不快に感じたり、時にはミスを犯し後悔したりする。他人が自分はどう見るかは我々のオンラインの振る舞いによってどんどん決められるようになっているのはまぎれもない事実であり、それを否定することはできない。

 10年前は「摩擦なき資本主義」という言葉がよく出てきたが、今は、frictionless share(摩擦なきシェア)とういう言葉が頻繁に出てくる。これはとても大切な時代のキーワードだ。

この摩擦なきシェアは当然そのコストを伴うものである。

プライバシーはもともとは個人に関する概念であるが、企業に果たしてプライバシーはあるのか? なども興味深いテーマだ。

フリクションフリーのシェアリングのコストがプライバシーだとすると、プライバシーがない企業はシェアリングの恩恵を多大に被るはずだが、それでもソーシャルネットの世界に躊躇したり、うまく活用できないでいる。

オープンにつながることの価値が高まるほど、ソーシャルネットの活用は正当化はされるだろうが、そうかといって、マイナスのコストがなくなるわけではないのだ。

プライバシーとは何か? どこまでがプイバシーとして保護されるべきなのか? ソーシャルネット普及によって得るものは何か? プライバシーを犠牲にしても正当化されるものなのか? など、この辺りのコンセンサスがつくにはもう少し時間が必要だろう。

2011年9月29日木曜日

ソーシャルメディア時代の「囚人のジレンマ」の解き方

ゲーム理論では有名な「囚人のジレンマ」という問題がある。
プレーヤーAとBがお互いの利得を高めようと努力する結果、お互いの利得を減らす状況に陥り、そこから抜け出せないというものだ。

かつての米国とソビエトの軍拡競争、企業の寡占市場での値下げ競争など、いろいろな形で現実にこの囚人のジレンマをみつけることができる。

この囚人の解き方の一つは繰り返しゲーム。何回もゲームを繰り返すことが前提になっていると、一時の利得を得ることに固執せずに協調が生まれる。

もう一つはお互いにコミュニケーションをとり、信頼を得るというもの。

ソーシャルメディア時代にもう一つの解法が生まれたと思う。プレーヤーAとBの行動を第三者が常にみている、監視しているというものである。仮に、AがBをだますとすると、第三者はAは人をだます人と烙印を押され、ゲームの相手にしてもらえなくなったり、だますことを前提に取引をせまられる。このような将来の利得の減少を防ぐために、プレーヤーAはいい人でなくてもだますことがなくなる。つまり、いい人になってしまうのだ。

ソーシャルメディア時代にはいい人でなくても、いい人に振る舞わせる力がある(笑)。この点は興味深い点だ。

普通の人でも、神社のお賽銭で、人がみている時と人が見ていない時では賽銭金額も変わるのでは?

2011年9月28日水曜日

SROIの利用法と限界についての考察

SROIのセミナーに参加して、利用法と利用の限界などがわかったのでまとめておきます。

SROIの使い方はステークホルダー間のコミュニケーションを高める、そのプロセス自体に意味を見いだすことだ。端的に言うと、SROIの結果には残念ながら意味がないから。意思決定には使えないのだ。

そのことを簡単に証明してみよう。

SROIが有用な指標と言えるためには、

「SROIを高めることが、社会への価値を高めている」という命題が成り立つ必要がある(命題1)

しかしながら、そうは言えないのだ。

命題1が成り立つためには、
あるプロジェクトが社会への価値を高めているが、別のプロジェクトが社会への価値を高めないということが示されないといけない。

つまり、その分岐点、ハードルレートが示される必要があるのだ。

しかしながら、SROIはハードルレートを示すことはできない。

この点を理解するには、営利企業の場合で考えてみるとよくわかる。
営利企業、ビジネスの意思決定でROIのみで採択プロジェクトの意思決定をやっている会社はほとんどない。むしろNPV(ネットプレゼントバリュー)やDCF(ディスカウントフロー)を使うケースが多い。ROIは意思決定の判断基準を示さないが、NPVやDCFは意思決定の判断基準を示すからだ。NPVがプラスであれば、その投資が企業の価値を高めるが、マイナスの場合は企業価値を低めるのだ。

 SROIもROIと状況は同じことだ。インプットとアウトプットの分子と分母の比率にすぎないからだ。SROIが1より高いから社会への価値を高めるとは言えない。

むしろ、NPOや社会的企業はSROIをギャップ分析に利用すべきだと思う。高いSROIなのになぜマネタリーベースのROIは低いままなのか? その原因は何か? どういうコミュニケーション、施策でそのギャップを改善できるのか? こういう点を考えることは有益だろう。

 逆説的だが、非営利企業、ソーシャルベンチャーにSROIを勧めないが、営利企業はSROIを導入して、社会、様々な利害関係者の、外部性を理解する上での補完的なツールとして導入するのがかなり有益ではないかと考える。

利益を出していても、社会への外部性を考えると、活動は社会への価値を生み出していないということを再考する貴重な機会を与えるからだ。

 企業にとって、社会、様々なステークホルダーの影響力を正しくは把握することは、ソーシャルメディア時代には特に求められると思う。影響、評判、信用がメディアを通じて伝播するから、これまでステークホルダーと考えていない人にも影響力があるということは日常茶飯事だ。

2011年9月26日月曜日

ソーシャルインパクト、雑感

ソーシャルインパクト分析

あるNPOのプロボノの最終報告会に参加。教育のソーシャルインパクトの数値化に挑んだ意欲的な報告会だった。

 事業の社会的なインパクトを分析することは、ソーシャルベンチャーにとってだけでなく、一般の営利企業にとっても必要なものだ。東京電力の例をみるまでもなく。社会にどういう効果、外部性(プラスもマイナスも)をもたらしているかを把握することがますます求められている。負の外部性をまきちらすことは社会から許されない。

 既に外部性を内部化する時代に入っていることを認識すべきだと思う。そのためには、正しくステークホルダーを把握して、その社会へのインパクトをどう測定するか、正しい方法論をみにつける必要がある。

報告会で感じたことや考えたこと。

■社会的なインパクトを数値化するのは確かに意義あるが、数値化にこだわりすぎて会社のミッションとの関係を失うと本末転倒になる。→ソーシャルインパクトの分析も、会社のミッション実現のツールと心得る

■数値化以前に、社会的なインパクトを出すには、そもそも、効果の因果関係がないといけない。まずはそれを言葉で説明して、人を説得できることが先→ロジックモデルで、経営資源→活動→ステークホルダーへの短期・中期・長期の効果→ビジョン・ミッションのフローを作る

■社会的なインパクトの数値化は、一言で言うと、社会への、ステークホルダーに対する限界分析である。限界的な差、自分たちがいなかったら実現していなかったことと、自分たちがやったことで実現したこととの差、つまりは本質的な社会に対する存在意義を明らかにすることである。→ソーシャルインパクトを考える上で、ドラッカーの次の問いが最も示唆に富む。「もし自分にしかできないことで、成功すれば重大な変化をもたらすことになるとすればそれは何か?」

■社会的なインパクトをはかりづらいのは、①因果関係が複雑、②効果があらわれるのに時間がかかる、または、③実はユニークなことをやっていないから、という見方もできるかもしれない。→特に、③の可能性が高いので、どこをターゲットにどういう活動をするとレベレッジが高まるかにインパクト分析する必要がある。

今後、ソーシャルインパクト分析法を、ステークホルダーへの説明責任を果たしたり、活動のアピールだけでなく、意思決定の質を高める切れる道具にしていきたい。