アダムスミスは神の見えざる手という比喩をもって、
「市場経済において各個人が自己の利益を追求すれば、結果として社会全体において適切な資源配分が達成される」とする考え方とった。
これが今の資本主義の原型を作ってきた。基本はレッセフェール(自由放任主義)だ。
しかしながら、現実はどう働いているのだろうか?
サブプライムショックによって世界で何千万人の雇用が失われたか?
ギリシャ危機に始まった世界的な変動。今度は国家の危機である。
毎年のように金融危機、国家危機がとりただされる。世界はその度に大きく変動する。
我々は危機に対して鈍感になりつつある。
果たして、資本主義に未来はあるのか?
企業のミクロ的最適化(競争)はマクロ的な安定を果たしてもたらすだろうか?
また、企業と社会の関係性が変わった
アダムスミスの時代の企業はすごく小さかった。
現代の企業がどんどん大きくなると、社会に大きな影響をもたらすようになる。
いい意味でも、悪い意味でも、外部性が生じるのだ。
外部性は、もともと資本主義の枠外の問題であった。
環境問題で外部性が注目されるようになり、今や外部性は資本主義の中心問題になっている。
マイケルポーポーターは共有価値の戦略で
「企業の目的を単なる利益の追求ではなく、共通価値(経済的価値+社会的価値)の創出と再定義すべき」と述べている。
単純化すると、外部性=社会的価値のことだ。
企業はROEを最大化することを企業の目的関数としてきた。
しかし、ROEの拡大は必ずしも公益を高めるとは限らない。
ROE=❶売上高利益率×❷総資産回転率×❸負債レベレッジに分解される。
ROEはこの3つのレバーを高めることで高めることができる。
売上高利益率と総資産回転率を高めるケースはイノベーションを伴うROEの拡大と定義できよう。
負債レバレッジを単に高めることでROEを高めるのはイノベーションを伴わないROEの拡大と定義できる。
負債レベレッジを高めることで、
負債の節税効果を使うことで、政府から資金提供者に利益を移転することができる。また、負債レベレッジを高めることは直接的、間接的な倒産リスクを高めるが、この負担は、株主以外にステークホルダーが負担することになるのだ。
ここに外部性が生じる。
負債を高めた旨味は株主が吸い取れるが、そのツケは株主が一部、その他の大部分は他のステークホルダーに回るからである。
外部性という問題をどうやったら解決できるだろうか?
ミクロの競争とマクロの安定を両立することができるのか?
一つは規制
もう一つは、そのような外部性をモニタリングする格付けである。その情報が消費者の行動、企業の行動を変えるように働ければ規制がなくても最適化が測られることになる。