これまでのGNPの問題点はいくら稼いだかの尺度であり、本来、満足度、幸福度を決めるのはそれが何に使われたのか(効用面)が実は抽象化されていた。
この点は経済学者は誰も指摘しないのだが、(ミクロとマクロの分業がすすんでいるからかもしれないが)、実はマクロ経済学とミクロ経済学の根本的な矛盾を生み出していると思う。
マクロ経済では三面等価のマクロモデルが示される(経済活動の規模は、生産、支出、分配が一致する)一方で、ミクロレベルでは個人の無差別曲線、効用、限界効用の逓減が示される。マクロモデルは効用、限界効用は出てこないのだ。マクロレベルでGNPをどんどん増やしたからといっても、ミクロレベルの個人の効用を高めることは保証されていない!
実際は、お金をかせぐだけでは幸福度を生み出すことはできない。貨幣はいわば記号だからだ。独りで貨幣をかせぐことでニヤニヤすることはできるかもしれないが、、それもその貨幣を将来使うことを妄想するといういわば現在の消費と捉えることもできるだろう。
前回示した原則
- 稼いだお金そのものが満足度、幸福度を高めることはない。その稼いだお金が何に使われるかが重要である。
- 使われるお金には、その人の満足度を高めるものもあるが、(不可避的な)支出で満足度を高めないものもある。
- 他人への信頼、地域、家族ソーシャルキャピタルの大きさによって、市場取引で購入するものを代替、補完することができる。
- 豊かさを比較する上ではエコノミストがおこなうように物価だけの調整ではなく、他人への信頼がないことによって必要となる支出を調整することで、本当の豊かさを比較しやすくなる。
例えば、地域のソーシャルキャピタル度をX軸に、地域のGDPをY軸にして、それぞれの本当の地域の豊かさを比較してみるといいだろう。