2011年3月8日火曜日

会社にソーシャルメディアをあわせるか、ソーシャルメディアに会社をあわせるか、それが問題だ

Briansolisは「ソーシャルメディアに会社を適用させること」を提唱している。私も基本的には同じ考えだ。

最近よく経営者から質問されるのは、「何かソーシャルメディアを使って新しいビジネスをしたいが何かないか?」。しかしながら、この質問からは正解を導くことはできないと思う。間違った質問からは正解は導かれることはない。

質問の前提には、「自分の会社はこのままでいい、それほど本質は変わらないが、ソーシャルメディアという新しいツールを自分がうまく使うことはできないか」ということが暗黙の前提とされている。会社が変わらなくてもいいという前提がまず間違いであるし、自分の会社は何かという大前提を間違えている。次に、自分がツールを使う主体的な存在であるという認識も間違いだ。

ソーシャルメディアの時代に問うべき正しい質問は・・・これはまた今度まとめたい。

情報コミュニケーション理論に「コンテント−コンテクスト理論」がある。コンテントは内容、中身を意味し、コンテクストは文脈/状況を意味する。この理論が今注目されているのにはいくつかの理由がある。

理由1
暗黙のコンテクストが、目に見えるコンテントよりも、結果にはるかに大きな影響があるからだ。

理由2
全ての企業がInfromation comapanyに変わりつつある。自らの情報資産が最大の経営資源になっている。だから、すべての企業は情報編集者のような振る舞いをみにつけなければならない。情報が流れる前提にはコンテント−コンテクストがある。

理由3
ソーシャルグラフの可視化によって、ソーシャルグラフがこれまでにないスピード、規模で拡散してきている。また、そのソーシャルグラフを企業自体がコントロールすることができなくなってきている。どう効果的なコンテクストを作る出すかの重要性が増しているのだ。

自分の会社の役割はコンテンツを届けることと考えるか、コンテクストを築く存在と捉えるか、些細な違いに見えるが結果は全く異なるものになると思う。

 振り返ってみると、真のマーケティングはコンテクストの創造と共有にあることがわかる。ビジネスとは何かと考えると、モノやサービスを提供することではなく、生活者との関わりの中でコンテクストを創造し共有すること、という考え方に転換できるかどうか? そのコンテクストがイメージ化され、そしてその中にサービスや情報が位置づけられ立体化され、ストーリーができて、感情というキズナが生まれる・・・。そのコンテクストを作り出し、編集し直す作業は企業と生活者の協同によるものであり、そしてそこでは意図しない創発を生み出すこともできる、という考え方に転換できるかどうか? (井関利明の説明を一部修正)

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