今回の勉強会では、ソーシャルネットのプライバシー問題について議論した。フェイスブックの仕様変更もあり、ソーシャルネットのプライバシー問題はホットなテーマである。
ソーシャルネットワークによって、一般人でもその私生活がどんどんオープンになってきている。あたかも、セレブでもないのに、セレブのように振る舞わなくてはいけないような強迫観念にとらわれる。
フェイスブックはシェアにともなう摩擦をどんどん減らし、コミュニケーションの活発化、効率化を善として邁進する十字軍のようなものだ。
しかし、我々はそのスピードや新たな振る舞いについていけずに、戸惑ったり、不快に感じたり、時にはミスを犯し後悔したりする。他人が自分はどう見るかは我々のオンラインの振る舞いによってどんどん決められるようになっているのはまぎれもない事実であり、それを否定することはできない。
10年前は「摩擦なき資本主義」という言葉がよく出てきたが、今は、frictionless share(摩擦なきシェア)とういう言葉が頻繁に出てくる。これはとても大切な時代のキーワードだ。
この摩擦なきシェアは当然そのコストを伴うものである。
プライバシーはもともとは個人に関する概念であるが、企業に果たしてプライバシーはあるのか? なども興味深いテーマだ。
フリクションフリーのシェアリングのコストがプライバシーだとすると、プライバシーがない企業はシェアリングの恩恵を多大に被るはずだが、それでもソーシャルネットの世界に躊躇したり、うまく活用できないでいる。
オープンにつながることの価値が高まるほど、ソーシャルネットの活用は正当化はされるだろうが、そうかといって、マイナスのコストがなくなるわけではないのだ。
プライバシーとは何か? どこまでがプイバシーとして保護されるべきなのか? ソーシャルネット普及によって得るものは何か? プライバシーを犠牲にしても正当化されるものなのか? など、この辺りのコンセンサスがつくにはもう少し時間が必要だろう。
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