前回のブログをもう一歩すすめると、タイトル通り、
評価経済に大きな期待をするのはそもそも間違いだと私は考える。
以下、その理由
①プライバシー問題のコスト
ソーシャルネットの普及、評価経済の普及によって、普通の人のタレント化が進むが、一方でプライバシー問題を生み出している。最近、Twitterもだいぶ荒れてきました。有名税とは言え、あらゆるところでみんなに監視されるコストを負担したいと思う人はどのくらいいるのでしょうか?
②評価そのものと、評価指標は異なる
Twitterのフォロワー数やKloutスコアーは評価の代理変数であって、評価そのものではありません。ここをはき違えると、全く議論は意味のないものになります。したがって、評価指標と評価との間には常にギャップがあります。Twitterのフォロワー数が2万人いるから,困ったらお米くらいくれるかなと淡い期待をしていても、お米に困った段階ではその人の評価も下がって、支援してくれる人は誰もいないかもしれません(笑)
③評価と影響力は異なる
評価と影響力とは異なります。本当に望むもの、価値あるものは、自分が望ましい結果を生み出す力、影響力の方です。企業でもfacebookのファン数という評価がどれほど多くても、購買につながらないとその評価の価値は低くなります。むしろ、その間の方程式、評価をどうやったら影響力につなげることができるのか? 影響力のあるユーザーを引きつけるにはどういうエンゲージメントをもつべきなのか? を解くべきなのだ。
④ネットの共振構造によりコントロールが難しい
これは、前回話した通り。フォロアー数が増えると、コアファンから、無関心の人、アンチまで幅広く取り込むことになります。したがって、自分の発言に常に好意的に捉えてくれることは期待できなくないr、コントロールが難しくなります。
⑤評価されるもとの魅力の有無
Twitterでフォロワー数増やすには、やはり、ある程度の魅力が必要と思います。現在、ソーシャルネットの有名人、佐々木さん、津田さん、上杉さん、ホリエモン、家入さんも、みなさん本をたくさん出されていますね。既存媒体からしても、ある程度本が売れる魅力を持っていることが必要でしょう。
以上の理由から、評価経済に大きな期待をするのはそもそも間違いだ。普通の人が、評価経済の波に乗って、うまくマネタイズして成り上がるというケースもあるとは思いますが、マスの力にはならないでしょう。つまらない結論ではありますが(笑)
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