2000年前半は、企業のもつ資産として、見えざる資産、知的資本が浴び、日本企業の中でも知的資本経営を標榜する会社が相次いだ。国際的にも、この分野の研究で伊丹、野中など世界をリードする経営論も生まれてきた。しかしながら、現在このパラダイムは急速に変化しているのではないかと思われる。
私がみるに、知的資本の価値よりも、人とのつながり、ソーシャルグラフ、ソーシャルキャピタルの価値が重要性が増している。
何かを知っていることの価値よりも、誰かを知っていることの価値、誰かとつながっていることの価値が高くなっているのだ。これは、人材にも、そして企業にも当てはまる。
もろん、知的資本を生み出す担い手は人材である。その人材が質の高い知的資本を生み出せるかどうかは、どのような知的な交流ネットワークに属しているか、コミュニケーションのパターンによって決まってくる。いいソーシャルグラフを持つかどうかが重要なのだ。
企業とは何か? 契約論で著名な経済学者オリバーハートは、企業とは「契約の束の中心」と定義した。私が再定義するとすれば、ソーシャルグラフの中心、フォーカスこそが企業の再定義にほかならない。そのソーシャルグラフとその関係性によって生み出される知的資本の質が決まってくる、強いては行動が決まってくるからだ。
質の高いいいソーシャルグラフをもつことが企業にとっても、人にとってもクリティカルになりつつある。
実は、ここに日本企業の構造的な大きな落とし穴があるように思われる。
ソーシャルキャピタルには2種類ある。結束型SCと橋渡し型SCがあるが、日本企業は従業員間の結束型SCを中心に展開してきた。プラス面では、あうんの呼吸、暗黙知を生み出すことに長けていることである。マイナス面は、ソーシャルグラフの重複が多く、同種の情報の接触率が高く、新しいイノベーションが起こりにくい、組織の常識が外の常識とずれるケースが往々に起こることである。
最近、大王製紙、オリンパスなど、日本企業の相次ぐ不祥事が続く。日本企業の構造的なガバナンスの不備と片付けることもできるだろうが、別の見方では、これまで日本が培ってきた結束型SC構造、ソーシャルキャピタルのパターンが時代にそぐわなってきたという見方もできる。つまり「日本型ソーシャルキャピタルの腐食、メルトダウン」が起こっているように思う。
王子製紙ではなく、大王製紙です。
返信削除とても魅力的な記事でした!!
返信削除また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。