公益資本主義を押し進める上で、米国と日本の違いをどう考慮に入れる必要があるのか?という点が問題となってくると思います。
以下の疑問が当然湧いてくる。
「米国と日本では状況が異なるのではないか? 日本では投資家の力はそれほど強くない。そうすると、処方箋は、短期的なリターンを狙う投資家の力、権限を弱めることではないのではないか?」
日本のこの20年の低迷を考えると、長期的に日本株に投資してきた投資家は大きな損を出した。例えば、ソニー、パナソニック、シャープの株価は20年で時価総額を大きく減らした。まさに日本は家電産業に投資していたのだ。結果としては、残念ながら、その投資は実らなかった。
ソニー、パナソニック、シャープの凋落は、投資家が短期的な圧力を欠けた結果というよりは、経営陣が長期的な視点、戦略的視点、グローバルな視点を欠いた結果、他の国のプレーヤー(韓国、台湾、中国)に競争優位を保つことができなかった。経営陣の視野=従業員の視野となり、大胆な改革ができなかった点である。環境変化が大きな時代にはこの点が大きくマイナスとして働く。
このゲームを考える際に、①どのステークホルダーがパワーを持っているか? ②そのプレーヤーの視野は長いのか短いのか? ③意思決定は戦略的なのか? そうではなくオペレーション的なのか? という軸が重要となる。
米国は、投資家が大きなパワーをもつ→投資家の短期思考が企業の意思決定に大きな影響をもつという意味で、投資家に長期的な視点をもつように促すことは正しい。
日本は、従業員がパワーもつ→従業員は長期的な視野をもつが戦略的な視点は欠ける。このため、いかに従業員出身の経営者、経営陣に、戦略的な思考を実行するように促すか? という点がより重要になってくる。
そうでないと、投資家に長期的に投資してくれと言っても、この20年で長期投資したら大きく価値を下げたではないか? 戦略的な思考で運営しない限りは長期的には投資できないと言われ、ニワトリが先か卵が先かの循環論に陥るだろう。
そうでないと、投資家に長期的に投資してくれと言っても、この20年で長期投資したら大きく価値を下げたではないか? 戦略的な思考で運営しない限りは長期的には投資できないと言われ、ニワトリが先か卵が先かの循環論に陥るだろう。
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