2011年4月18日月曜日

猿が群れを必要とするように、人間はソーシャルを求める



要旨
人間の本能には、出会った人を敵か味方か、内か外か、仲間か仲間ではないかを区別、峻別する本能が備わっている。ソーシャルとは内(仲間)と外(仲間以外)を判断、峻別する境界を意味しているのではないか? SNSはある意味でその判断基準を内包するメタ認知システムとして機能しているというのが私の仮説だ。様々なソーシャルビジネスも、前者だけではなく、後者の観点から見直すことでより深い洞察を得ることができる。

 ソーシャルって一体何だろう? この問いの答えは常に自分では追い求めてきたと思う。ソーシャルとは一体何か? 自分はこの概念をもっとDNA、動物の本能レベルで捉えることで、より深くかつ明快に理解できるのではないかと思う。

 例えば、SNSはオンラインで人とつながるためのものと言われている。しかしながら、人とつながるとともに、出会った人を内(友達、マイミク)と外にわける機能を必ず備わっている。この後者の部分は実は人間の本能(動物も含めて)に根ざしたもので、より本質的機能ではないか?

 動物の世界では、森の中で他の動物に出会った時に、本能的に逃げる(フライト)か、それとも戦いを挑む(ファイト)を決めなくてはいけない。これはストレス反応と言われるもので、実は現代の人間にも残っている反応だ。知らない人と会うのは動物にも人間にもストレスを与える。このストレス反応は、人間の長い進化の過程の中で本能的に培われたもので、脳の深層部の原始的な部分からおこっている。

 このストレス反応を減らす方法として、ある種類の高等動物は社会的行動(Social behavior)で対処してきた。例えば、共同生活。猿は群れで行動する。予め敵でないとわかった仲間と共同生活をすることで、ストレスを減らすことができる。また、もう一つの方法は、こちらは敵ではない、攻撃するつもりはないというシグナルを相手に送る社会的行動もある。例えば握手だ。自分が危害を加えるつもりがないということを瞬時に伝えることは、自分の生存確率を高める上で重要である。

 デジタル化以前の人間関係の変化はゆるやかな固定的なものだった。例えば、リアルなコンテクストを共有するかどうかが内と外、仲間と仲間以外を分ける、ある一つの判断基準になってきた。同じ地域の出身、同じ大学の出身、同じ会社、同じ会社のグループなど。

 それが、デジタル化社会の到来によって劇的に変化しつつある。オンライン上でいろいろな人と接触、接点、ノード接触がある。しかしながら、人間の本能として、その接触で瞬時に自分にとっての内と外を区別したいという本能がおこる。それがないとストレスだからだ。

 つまり、ソーシャルとは内(仲間)と外(仲間)以外を瞬時に判断する境界を意味しているのではないか。また、SNSはある意味の判断基準を内包するメタ認知システムではないかというのが私の仮説だ。

それが人間には快適だからだ。不快を減らすからだ。

Facebookの友達申請はまさにその内と外を区別、峻別する承認メカニズムだ。誰かの友達承認、承認される、お互いに友達関係であることが両者に認識され、情報公開はなされる。
派生語でいえば、ソーシャル的だよね、とかは仲間を拡大する行為、ソーシャル的でないは外を広げることを意味している。

 以上の議論を進めると、SNSは人と人をつなげるとともに、どうやって内と外を区別するメタ認識システムを組み入れるかが本質的に重要なことがわかる。これは、ソーシャルビジネス一般に言える議論ではないかと思う。どう区別すると、その本人にとって意味のあるソーシャルグラフを生み出すことができるのか? この視点からソーシャルビジネスを捉え直すとより深い理解ができるのではないかと思う。

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